こっちの方が問題?

文化審議会著作権分科会に「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」なるものが設置され,保護期間の延長だの何だのが議論されているようだけど,むしろ,注目すべきはコッチか?!

こんなトコロ(第8回知的創造サイクル専門調査会第9回知的創造サイクル専門調査会第10回知的創造サイクル専門調査会)で,著作権非親告罪化が粛々(?)と議論されていたりして##

海賊版の撲滅に反対する気はないけど,そりゃぁ,チョット影響が大きすぎ! でしょう!!

老舗が!

某ブログに「週刊少年ジャンプ」が廃刊になるようなコトが書いてあり,驚いて調べてみたら,どうやら「月刊少年ジャンプ」が休刊(事実上の廃刊でしょうなぁ!)が本当のところのよう。

次から次から,数え切れられないほどのマンガ雑誌が創刊されているような気がするけど,マンガを読む人口が増えないとすれば,個々の雑誌の売上は下がるのが自然なワケで,ある程度,“新陳代謝”が激しくなるのは仕方がないのかも?! でも,「月刊少年ジャンプ」はビッグネームとしていいだろうから,それが事実上の廃刊となると,いろいろと思うところあり!

最近は,トンとマンガなんて読まなくなったけど,思うに月刊のマンガ雑誌って,よっぽど面白い詠み切り作品に徹するか,連載なら,週刊に掲載される作品より面白いようなモノで固めないと,なかなか買ってもらえないんじゃないかなぁ?

記事では,マンガの単行本は,比較的,売上好調のように書いてあるけど,月刊マンガ雑誌の作品に限って言えば,どうなんだろう? 月刊マンガ雑誌に掲載された作品も,そこそこ売れているのだとすれば,どこかで個々の作品には触れられているワケで,そのあたりの“流れ”を調べることは重要な気がする。

行ってきた!(その後)

著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」のシンポジウムのパネルディスカッションにも出られていた山形氏が,こんなコトを書いてらっしゃるのを発見! 前に書いたシンポジウムの感想的なモノを,より詳しく書いてくだっさった! っていう内容。

ただ ...,

 ...少なくとも従来型の「知的財産」は相対的に重要でなくなってきている、とぼくは思う。

 例えば、小説や本を人は昔ほど読まなくなった。そうしたものが人々の生活の中で持つ重要度は低下しているわけだ。2006年のベストセラー『東京タワー』が50年後も多く読まれているだろうか。僕はそう思わない。音楽にしても、かつての美空ひばりビートルズのような存在感は、浜崎某や倖田某にはない。『大魔神』や『ゴジラ』は今見ても僕たちに衝撃を与える。しかし、仲間由紀恵の『大奥』を50年後に見る人がどれだけいるだろうか。

の部分は少し疑問。

美空ひばりビートルズ,“浜崎某”,“倖田某”。実演家の存在感という点では,そのとおりかもしれないけど,それは「知的財産」としての著作物の重要度とは別の話のような気がするし,著作物自体の重要度が下がっているという前提に立てば,それらの著作物を,より広範囲に頒布するためには,実演家の重要度は却って上がるようにも思える。

どちらにしても,いかに美空ひばりの存在感が大きくても,美空ひばりが“浜崎某”と同じ歌を歌って支持されるかは疑問。もっと言えば,“浜崎某”の曲(既にレコード化されていて周知の曲ということではなくて,“浜崎某”に歌わせるつもりで作った未発表曲という意味ね!)を“そこらへんの”おネエちゃんが歌っても,ほぼ売上は期待できないでしょ? ヤッパリ,著作物そのものと実演とは分けて考えるべきじゃないかな? 

それから,同じ映画といえども『大魔神』や『ゴジラ』と『大奥』とでは比較が難しいけど,『大魔神』や『ゴジラ』に関しては,山形氏のノスタルジーが,かなり含まれてるように思えるし,古い映画を見たときの衝撃と,現在の映画を50年後に観る人の数とを比較するのは,よろしくないような!

例えば,『(初代)ウルトラマン』や『ウルトラセブン』あたりと今どきの『ウルトラマン○○』,あるいは,初期の『ゴジラ』と最近の『ゴジラ』とを比べて,著作物としてのクオリティは劣っていないけどインパクトでは及ばないというのであれば,もしかすると視聴率や劇場への観客動員数(データを確認したわけではない。)なんかを基準にすれば正しいかもしれない。ただ,最初の『ゴジラ』は公開されて50年以上経ってるハズだけど,今でも,そんなに見られてるのかなぁ?

現代社会において著作物の重要度が下がっているという前提が正しいのであれば,古い著作物の重要度も下がらなければおかしいワケで,今どきの著作物の重要度(価値)だけが顕著に下がっているのであれば,保護期間延長運動をされている方々は,そんな運動よりも,その理由の分析を先にした方がイイかもね!

もう1点。

ほとんどの創作物は、「創作されてから5年」も守ってあげれば十分だと思う。

この「5年」の算出根拠的なモノを示していただけると,かなり参考になるかも? と思っもみたり!

確かにマズイ!

ちょっと古いけど,「図書検索の「癩」修正へ ハンセン病差別図書館放置 元患者ら指摘 全国に要請拡大」なる記事。

正直,よくある“言葉狩”の類かと思ったけど,試しに「癩」っていう字を調べてみた。「らい」のほかに「かったい」というヨミがあるらしい。

で,逆に「かったい」は「乞丐」とも書くらしい。そして肝腎な意味は,「こじき」とか「ばか」とか(これらも“言葉狩”の対象か?)!

もともと「こじき」に罹患者が多かったから,この名になったとの説が載っていたが,つまりは「癩病」と言うことは「こじき病」と言ってるに等しいことか?! 確かに,これはマズいと思う。

行ってきた!

著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」第1回公開シンポジウム。

一応,今も自分の立場は中立のつもり。ただ,延長に賛成な方のご意見は,総じて感情論というか情緒論というか,「気持ちとしては解らないでもないけど,それでは延長に賛成できません」というモノが多かったように思う。

延長に反対な方々のご意見は,おおむね納得できるものなんだけど“感情”に配慮した部分が感じられにくいところに,多少の“引っかかり”が感じられた。

約3時間の会の中で,特に1点だけ記録!

パネルディスカッションの後半で,司会の方が「同じ“モノ”を作る蕎麦屋を保護する法律などはないのに,どうして著作物についてのみ法律で保護する必要があるのか?」みたいなことを問題提起され,それに対して,某マンガ家さんが猛反発されいた。(会の終りごろ,会場からの発言で某写真家さんは,もっと反発されていたが!)

ところで,延長に賛成な皆さん。あのマンガ家さんは,あまり“表”に出さない方がイイと思いますよ! 却って延長に反対な皆さんの反感を買うばかりのような気がしますよ!

それはさておき,曰く「われわれの作品を蕎麦なんかと同じにしてもらっては困る。われわれは命を削る思いで作品を創っている」みたいなことをおっしゃってたが,それは“思い上がり”じゃないですか? 蕎麦屋さんだって,それこそ“命がけ”と言えるほどの気持ちを込めてらっしゃる店は少なくないと思うモン!

まぁ,音楽の演奏との対比なら,それほど違和感がなかったのかもしれないけど,食せば残らないモノと読んでも残るモノとの違いがあるので,例として蕎麦屋を出したことは適当ではなかったかな? でも,“職業に貴賎はない”という倫理観に立てば,蕎麦でもラーメンでも敬意を持つべきだと思うし,さらに言えば,前にも似たようなコト書いたけど,漆器とか和服なんかでも「そんなモンと一緒にしてもらっては困る」と言いますか?(漆器も和服もモノによっては著作権法による保護の対象になる可能性があるけど!)

それよりも,著作権法では保護するか保護しないかの基準としては,残念ながら,創作に命を削ったかどうかを問題にしていないんですよね! だから,「命を削る思いで創作したから保護期間を延長しろ!」という主張に関しては「気持ちは判りますが,的ハズレです」としか言えません。

これも似たようなことを前に書いているけど,ヤッパリ「作品に対する敬意」とか「作品を後世に残したい思い」とかいうコトと「保護期間の延長」とは別次元の問題だと思うなぁ!

続・著作権延長ですって。(番外の2・完)

チマタで話題の「著作権保護期間延長問題を考える国民会議」の,発起人の方々のコメント(中編)についても若干。

伝・福富氏談

映画『ローマの休日』では個人ではなく法人が著作権を持っていて、製作後70年で権利が消滅する

日本の法律では,映画に関しては著作権を法人が持っていようと個人が持っていようと“公表後”70年であって,「法人が著作権を持って」いることは問題ではないと思いますが ...?

これはこれで不整合があって、例えばオードリー・ヘップバーンやグレゴリー・ベックがまだ生きていたら、肖像権はあるのに著作権が消滅してしまうことが起こるのです。

日本の法律に肖像権を定めたモノってないハズだけど,肖像権が存命中は保護されるという前提で ...。

コレって,映画だけの問題じゃなくて,写真でも特に譲渡契約なんかがなければ撮影者に著作権があるハズだから,撮影者が早くに亡くなれば著作権が切れて肖像権が活きているってことはありえますね!

ただ,肖像権を根拠に著作物の使用を拒否するってことが可能だとすれば,著作権保護期間中であってもなくても可能なハズで,保護期間を延長するかどうかを考える場合に,この“不整合”は,それほど関係ないような気がします。

それから70年という期間の理由は、多分人間の寿命と関係していると推測していますが、

延長を正当化するために挙げられる理由の1つではあるとは思いますが,それは“後付け”的なモノのような気がします。

伝・小寺氏談

財産権というのは譲渡できるというか、契約によって取られてしまうケースがあります。実は著作者なのに、お金を得る権利がないままという状況が現実に起こっているわけです。

そんな中で財産権だけ延長していても、作家の立場からすると何の利益もない。というかまったく関係ない。

お金を払う側としては,あまり“誰に行くか”を考える必要はないように思います。確かに実際に創った方ではないところにお金が行くことには納得しにくい部分はありますが,実際に創った方にお金が行かなくて,そのことに実際に創った方が不満であれば,それは実際に創った方とお金が行くところとで話をしてもらえばいいことですから!

もっとも,いろいろな力関係なんかで,ろくに話をすることすらできない状況が,かなりあるでしょうけど!!

伝・藤田氏談

本来、財産的利害の調整にはもっと多様な方法がありうるはずです。一部は取り入れられていますが、資料したあとでその利益を配分するというかたちも考えられるでしょう。

私的録音・録画補償金のことでしょうか? 音楽などに見られる包括許諾のことでしょうか? どちらも利用の利便性という観点から一定の評価はできるとは思いますが,各方面で問題点が指摘されているのも事実!

基本的に禁止権として構成されてしまうと、本来はもっと活用の余地があっても、許諾を得ずに使うと違法になってしまいます。

これも条約との関係で改めることは難しいのでは? まぁ,保護期間延長の議論と同時に,報酬請求権的な運用が可能な制度に近づけるという議論は“あり”かもしれません。

伝・山形氏談

中にはとんでもない翻訳で出版されていても、偉い先生がやってるから手を出せないなんて作品がたくさんあるわけで、「あと2年で著作権がフリーになるから、俺が訳すまで待ってろ」と考えていたりします。

爆笑! です。確かにありますね!? それこそ原文を見なくても「この訳,おかしいんじゃない?」ってヤツ!

僕が書いたもの、皆さんが書いたものもそうですけれども、本当に20年、死んだ後の50年先まで価値があるのは、ほんのわずかなんです。

そう! 保護期間延長が,その僅かなモノのためみたいに感じられるから賛同が得られないんだと思います。

僕の書いた変な文章を2070年位に誰かが見つけて、あっこれ面白いからパロディーを作ろうと思ったとき、山形のその作品の権利を持ってるヤツって誰? という話になるんです。「山形の甥っ子の孫がいるらしいけれども・・・・・・」なんて話は分からないし、面倒くさいからそこまでして探すやつはいないんです。

あまり実態を知らないんだけど,著作権の相続って,かなりイイ加減なんじゃないかなぁ!? そりゃぁ,有名作家の著作権なんかだと“財産”って認識も強いだろうけど,業界誌に記事を書いたとかいうレベルだと遺族が記事の存在すら知らなかったりで ...。

チョット前,著作権を土地に喩えて一部からヒンシュクをかった著作権行政のエライさんがいたけど,土地なら相続するときに税金をとられるし,何にも利用しないで空き地として持ってるだけでも税金をとられる! 著作権も,そんな風にしたら,かなり相続放棄とか出てくるかも? 条約上,そんな制度が可能は,さておき ...。

ただ,著作者が亡くなった時点で,ある種の相続手続がされていない著作物については保護期間が満了したものとするなんてことをすると,却って,個々の著作物について保護の対象なのか,誰が著作権者なのかが判りにくくなりかねませんな! それに,海外の著作者については,どうするのかって問題もあるし!!

条約がらみで言うと,コンピュータ・プログラムの保護期間なんて“50年”も要らないでしょう! 個人的には,コンピュータ・プログラムを著作権法で保護すること自体が疑問だけど,少なくとも,コンピュータ・プログラムについて言えば,“70年”どころか,現状の“50年”でも長すぎる! と思っています。

著作権保護期間延長問題を考える国民会議」の,発起人の方々のコメント(後編)もあるんだけど,ココまで書いてきたことの繰り返しになりそうなので略!