行ってきた!(その後)

著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」のシンポジウムのパネルディスカッションにも出られていた山形氏が,こんなコトを書いてらっしゃるのを発見! 前に書いたシンポジウムの感想的なモノを,より詳しく書いてくだっさった! っていう内容。

ただ ...,

 ...少なくとも従来型の「知的財産」は相対的に重要でなくなってきている、とぼくは思う。

 例えば、小説や本を人は昔ほど読まなくなった。そうしたものが人々の生活の中で持つ重要度は低下しているわけだ。2006年のベストセラー『東京タワー』が50年後も多く読まれているだろうか。僕はそう思わない。音楽にしても、かつての美空ひばりビートルズのような存在感は、浜崎某や倖田某にはない。『大魔神』や『ゴジラ』は今見ても僕たちに衝撃を与える。しかし、仲間由紀恵の『大奥』を50年後に見る人がどれだけいるだろうか。

の部分は少し疑問。

美空ひばりビートルズ,“浜崎某”,“倖田某”。実演家の存在感という点では,そのとおりかもしれないけど,それは「知的財産」としての著作物の重要度とは別の話のような気がするし,著作物自体の重要度が下がっているという前提に立てば,それらの著作物を,より広範囲に頒布するためには,実演家の重要度は却って上がるようにも思える。

どちらにしても,いかに美空ひばりの存在感が大きくても,美空ひばりが“浜崎某”と同じ歌を歌って支持されるかは疑問。もっと言えば,“浜崎某”の曲(既にレコード化されていて周知の曲ということではなくて,“浜崎某”に歌わせるつもりで作った未発表曲という意味ね!)を“そこらへんの”おネエちゃんが歌っても,ほぼ売上は期待できないでしょ? ヤッパリ,著作物そのものと実演とは分けて考えるべきじゃないかな? 

それから,同じ映画といえども『大魔神』や『ゴジラ』と『大奥』とでは比較が難しいけど,『大魔神』や『ゴジラ』に関しては,山形氏のノスタルジーが,かなり含まれてるように思えるし,古い映画を見たときの衝撃と,現在の映画を50年後に観る人の数とを比較するのは,よろしくないような!

例えば,『(初代)ウルトラマン』や『ウルトラセブン』あたりと今どきの『ウルトラマン○○』,あるいは,初期の『ゴジラ』と最近の『ゴジラ』とを比べて,著作物としてのクオリティは劣っていないけどインパクトでは及ばないというのであれば,もしかすると視聴率や劇場への観客動員数(データを確認したわけではない。)なんかを基準にすれば正しいかもしれない。ただ,最初の『ゴジラ』は公開されて50年以上経ってるハズだけど,今でも,そんなに見られてるのかなぁ?

現代社会において著作物の重要度が下がっているという前提が正しいのであれば,古い著作物の重要度も下がらなければおかしいワケで,今どきの著作物の重要度(価値)だけが顕著に下がっているのであれば,保護期間延長運動をされている方々は,そんな運動よりも,その理由の分析を先にした方がイイかもね!

もう1点。

ほとんどの創作物は、「創作されてから5年」も守ってあげれば十分だと思う。

この「5年」の算出根拠的なモノを示していただけると,かなり参考になるかも? と思っもみたり!